2017年7月31日月曜日

7/30こども説教「安息日にすべきこと」ルカ13:10-17

 7/30 こども説教 ルカ13:10-17
 『安息日にすべきこと』

13:10 安息日に、ある会堂で教え ておられると、11 そこに十八年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女がいた。12 イエスはこの女を見て、呼びよせ、「女よ、あなたの病気はなおった」と言って、13 手をその上に置かれた。すると立ちどころに、そのからだがまっすぐになり、そして神をたたえはじめた。14 ところが会堂司は、イエスが安息日に病気をいやされたことを憤り、群衆にむかって言った、「働くべき日は六日ある。その間に、なおしてもらいにきなさい。安息日にはいけない」。15 主はこれに答えて言われた、「偽善者たちよ、あなたがたはだれでも、安息日であっても、自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやるではないか。16 それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」。            (ルカ福音書 13:10-16

  安息日に、主イエスは長いあいだ病気で苦しんでいた女の人を助けてあげました。その人は、ずっと長いあいだ、屈んだままで体を伸ばすことができなかったのです。すると体がまっすぐになり、その人は神をたたえはじめました。文句を言った会堂司とそれに賛成する者たちに答えて、主イエスは言いました。15-16節、「偽善者たちよ、あなたがたはだれでも、安息日であっても、自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやるではないか。それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」。そのとおりです。
日曜日にしてよいことは他にもたくさんあるでしょう。日曜日に働かなければならない人もいるし、学校行事もあり、町内会の掃除や会合などもあり、大事な用事や約束も次々とあるでしょう。それでも自分の手の働きを止めて、神さまへと心を向け返し、神に感謝し、神をあがめるためにこそ、日曜日はあります。もし万一、それが二の次三の次、四の次にされ、どんどん後回しにされてゆくとき、神を信じて生きる生活は中身のないものになってしまいます。それをこそ、自分自身のこととして本気で恐れなければなりません。神さまからの祝福が、あなたとご家族の一人一人に豊かに注がれますように。

     【補足/安息日の意味】
(*)創世記 1:31-2:3。神が世界創造の御業を終え、休み、神によって造られたすべてのものを祝福し、ご自分のものとされました(=聖別)。この祝福にあずかり、神のものとされるため、私たちも抱え持った仕事を手離し、脇へ置き、休みます。神ご自身のお働きに目を凝らし、神の御声に耳を澄ませ、聞き従い、信頼を寄せ、神のものとされた幸いと祝福を改めて受け取り直すときです。なぜそれが必要であり、有益なのか? 神はわたしたちの生命の与え主であり、救いとすべての幸いと良いものはただ神から出てくるからです。