2017年11月20日月曜日

11/19こども説教「ふたりの主人の両方には仕えることができない」ルカ16:13

 11/19 こども説教 ルカ16:13
 『ふたりの主人の両方には仕えることができない』

16:13 どの僕(しもべ=召使い)でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。                  (ルカ福音書 16:13

  まわりには、自分より大きくて強そうなものがたくさんいます。「その中の誰が一人を自分の主人にして、その主人に仕えて生きることになる」と主イエスが仰います。「いいや、嫌だよ。ぼくは誰の言いなりにもされず、自分の思いのままに好きなように生きてゆく」という人もたくさんいます。けれどその人は、自分自身と、「自分の思い通りに好きなように生きてゆく」というワガママ勝手な気分を自分の主人にしてしまって、その主人の奴隷のようにされて、つまらない淋しい、虚しい人生を生きてゆくことになります。自分より大きくて強そうで賢そうな人間たちを自分の主人として、その人たちの言いなりにされて生きる人たちもいます。どの主人に仕えて生きるのかを、よく考えて、自分で選びなさい。せっかく、誰か独りを自分の主人にするなら、頼りがいのある、とても強くてしっかりした主人を選べるといいですね。もし何があっても、どんなに困った苦しいときにも、必ずきっと助けてくれるような、親切で心優しい、良い主人に仕えて生きることができるなら、とても安心です。すごく幸せです。


     【補足/キリストには代えられません】
讃美歌Ⅱ編の195番の折り返しのところで、「世の楽しみよ、私から去れ。どこか遠くに離れていってくれ。世の誉れよ、どこかに消えてなくなれ」と歌っています。ずいぶん過激なことを言っていますね。キリストと何か他のモノとを取り替えてしまいそうな、信仰の危機に瀕しているからです。崖っぷちです。それまでは、「あれをしたい。これもしたい。こんなことやあんなことはしたくない」という思いばかりがこの人の心を満たしていました。それまでは、「人から誉められたい。認められたい。すばらしい、素敵、さすがだ、立派だと言われたい」という思い、あるいは恥をかいたり、馬鹿にされ見下されたりすることを恐れる思いばかりがこの人の心を満たしていました。それらが、この人の主人だったのです。その生臭い主人たちに邪魔されて、キリストを心に思うことがなかなかできませんでした。けれど、やっとこの人の心の中に、キリストが大きくなってきた。キリストがますます色濃く、強く、鮮やかになってきた。キリストが、この人にとって、新しい主人となりました。すると不思議なことが起こりました。「人から誉められたい。認められたい。すばらしい、素敵、さすがだ立派だと言われたい。恥をかきたくない。誤解されたり馬鹿にされたり、見下されたくはない」という恐れと渇望。それは、ほどほどのことになりました。もちろん誉められたい。認めてもらいたい。受け入れられたい。けれど人々からそうされるより、あの主人から「よくやった。善かつ忠なるしもべよ」(マタイ25:23)と誉めていただきたい。ぜひ、そうなりたいと。