2018年3月27日火曜日

3/25こども説教「何の権威か?」ルカ20:1-8


 3/25 こども説教 ルカ20:1-8
 『何の権威か?』

     20:1 ある日、イエスが宮で人々に教え、福音を宣べておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと共に近寄ってきて、2 イエスに言った、「何の権威によってこれらの事をするのですか。そうする権威をあなたに与えたのはだれですか、わたしたちに言ってください」。3 そこで、イエスは答えて言われた、「わたしも、ひと言たずねよう。それに答えてほしい。4 ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか」。5 彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。6 しかし、もし人からだと言えば、民衆はみな、ヨハネを預言者だと信じているから、わたしたちを石で打つだろう」。7 それで彼らは「どこからか、知りません」と答えた。8 イエスはこれに対して言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい」。               (ルカ福音書 20:1-8

 小さな子供と大きな大人と、その両方の方々のために話します。
主イエスは神殿で、毎日毎日、神の国の福音を宣べ伝えていました。祭司長や律法学者たちが近寄ってきて、主イエスに質問しました。「何の権威によってしているのか。だれから、そうする権威を与えられたのか」と。とても良い大切な質問ですね。主イエスは、彼らがよく知っている一人の伝道者について、同じことを問い返しました。「洗礼者ヨハネの場合はどうだろう。彼の行ったこと、語ったことは、神から与えられた権威によってだったのか。それとも、ただ人間たちからの権威なのか、どっちだ?」と。どう答えても都合が悪かったので、答えたくありませんでした。あの祭司長と律法学者たちと民の長老たちは、主イエスやその働き人についても自分たち自身についても、神ご自身から遣わされた者なのか、それともただ人間たちの間でだけそこそこの評判と信頼を受けていただけなのかが、いつの間にか、すっかり分からなくなりました。どこから来た、何の権威なのか? それは、とても困ったとき、苦しむときにいったい誰に助けを求めることができるのかという、いつもの根本問題です。「神さまが私の味方だ」(詩27,ローマ手紙8:31-39参照)ということが信じられなくなったので、祭司長と律法学者たちと民の長老たちは、そのおかげで、ただただ人間たちを恐れ、まわりの人間たちの顔色を窺いつづけています。ああ、かわいそうに。もちろん主イエスは父なる神から遣わされ、またご自身が神である救い主です。いいえ、それだけでなく 私たちクリスチャン一人一人もまた、神から遣わされ、神の権威によって立っている、神ご自身に仕えて働く働き人たちです。「天に主人がおられる」とよくよく習い覚え、しかも「天と地の一切の権威を授けられた主イエス」(コロサイ4:1,マタイ28:18から遣わされた私たちです。だから、人間に過ぎないどんな権威を恐れる必要もなく、ただただ神さまの御心に従って生きることを願って、毎日毎日を晴れ晴れと暮らすことができます。